UTSC -東大航空部ブログ-
東京大学運動会航空部のブログです 随時更新します
11月合宿4日目
合宿は後半戦。ホームシック中の赤嶺です。
まず、今日の成果としては、
・駒井さんのフィフスジュニア
・剱田21朝点あがり
などがありました。
明日からも頑張っていきます。
さて、本日は運動会の体験搭乗会がありました。
すっかり写真を撮るのを忘れていたのでよくわからない記事となってしまいますが、
今日搭乗にいらした5名の方には楽しんでいただけていればと願います。
関係者の皆さま、お疲れ様でした。
取り急ぎご報告まで。
まず、今日の成果としては、
・駒井さんのフィフスジュニア
・剱田21朝点あがり
などがありました。
明日からも頑張っていきます。
さて、本日は運動会の体験搭乗会がありました。
すっかり写真を撮るのを忘れていたのでよくわからない記事となってしまいますが、
今日搭乗にいらした5名の方には楽しんでいただけていればと願います。
関係者の皆さま、お疲れ様でした。
取り急ぎご報告まで。
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11月合宿3日目
ラプラス変換の試験が終わる。いいかげん周囲のやつらが奏でる睡眠を誘うあのシャーペンが机に当たるリズムにも飽き、俺は教室の窓から空を見上げた。ため息をつく。俺の気持ちを知ってるかのように空は鬱々としていた。
さて、赤嶺からメール??
赤嶺『なんかソロでたわ』
剱田からもメール
剱田『古川がソロでた』
鷲澤さん「剱田がファーストJrにでたよ」
断片的な情報から今日、妻沼ではどんな壮絶な一日が繰り広げられていたのかを早川は早川は推察してみる。
俺が部分積分をしている間に赤嶺はソロにでたんだと。
俺がωを無限大にした時の考察を行っているときに古川はソロにでたんだと。
俺がガウス複素平面での式の挙動を考えているときに剱田はジュニアに乗っていたんだと。
以上、中間テストで本郷を訪れていた人間の視点から
註釈:今日の成果
剱田21朝点シングルチェックアウト
剱田ファーストジュニア
赤嶺対岸なしピスト上がり
剱田セカンドジュニア
赤嶺ファーストソロ
古川ファーストソロ
さて、赤嶺からメール??
赤嶺『なんかソロでたわ』
剱田からもメール
剱田『古川がソロでた』
鷲澤さん「剱田がファーストJrにでたよ」
断片的な情報から今日、妻沼ではどんな壮絶な一日が繰り広げられていたのかを早川は早川は推察してみる。
俺が部分積分をしている間に赤嶺はソロにでたんだと。
俺がωを無限大にした時の考察を行っているときに古川はソロにでたんだと。
俺がガウス複素平面での式の挙動を考えているときに剱田はジュニアに乗っていたんだと。
以上、中間テストで本郷を訪れていた人間の視点から
註釈:今日の成果
剱田21朝点シングルチェックアウト
剱田ファーストジュニア
赤嶺対岸なしピスト上がり
剱田セカンドジュニア
赤嶺ファーストソロ
古川ファーストソロ
11月合宿2日目
ブログをご覧の皆様はじめまして。4年のSです。
今、一時帰宅のため電車に揺られています。
特にやることもないので今日の訓練の様子を書きたいと思います。
今日は訓練2日目。他校のいないランウェイを独占しての訓練でした。
早朝から機体の係留を解きはじめたのですが、霜が大量に付着してパリパリになっていました。もう冬が来てますね…。
天気のほうは、雲は出ているものの晴れており、地上も上空もほとんど無風という絶好の下級生日和、初ソロ日和でした。
初ソロこそ出ませんでしたが、3年H氏がB章試験に合格しました。
一発合格ではなかったことはナイショにしておいてください^ ^
また、2年K氏も順調にソロ発数を増やしていました。Jr.移行もそう遠くないのではないでしょうか。
また、下級生も1人3回は飛べたので、上達したと思います。
ここからは思い出話のようになりますが、今日のように合宿を単独で行っている光景を見ていると、何か感慨深いものがあります。
僕が1年生のときは合同合宿が基本で、複座機に乗る人数があまりに少ないので、「2発ずつ交代で搭乗する」や「1日6発」なんてこと
もありました。
それが今では発数管理をしっかりやり、今日のように全員がいなくても単独合宿がそれなりにできるようになっています。
僕は間もなく卒業(ちゃんと卒論が通れば)しますが、このままの勢いが続いてくれるといいな、と思っています。
明日の朝6時には再び妻沼に戻っているので、明日以降も頑張りたいと思います!
P.S.
下級生(特に2年)は、フライト、運営どちらでもいいので『目に見える成果』を出してください!
期待してます(^q^)
今、一時帰宅のため電車に揺られています。
特にやることもないので今日の訓練の様子を書きたいと思います。
今日は訓練2日目。他校のいないランウェイを独占しての訓練でした。
早朝から機体の係留を解きはじめたのですが、霜が大量に付着してパリパリになっていました。もう冬が来てますね…。
天気のほうは、雲は出ているものの晴れており、地上も上空もほとんど無風という絶好の下級生日和、初ソロ日和でした。
初ソロこそ出ませんでしたが、3年H氏がB章試験に合格しました。
一発合格ではなかったことはナイショにしておいてください^ ^
また、2年K氏も順調にソロ発数を増やしていました。Jr.移行もそう遠くないのではないでしょうか。
また、下級生も1人3回は飛べたので、上達したと思います。
ここからは思い出話のようになりますが、今日のように合宿を単独で行っている光景を見ていると、何か感慨深いものがあります。
僕が1年生のときは合同合宿が基本で、複座機に乗る人数があまりに少ないので、「2発ずつ交代で搭乗する」や「1日6発」なんてこと
もありました。
それが今では発数管理をしっかりやり、今日のように全員がいなくても単独合宿がそれなりにできるようになっています。
僕は間もなく卒業(ちゃんと卒論が通れば)しますが、このままの勢いが続いてくれるといいな、と思っています。
明日の朝6時には再び妻沼に戻っているので、明日以降も頑張りたいと思います!
P.S.
下級生(特に2年)は、フライト、運営どちらでもいいので『目に見える成果』を出してください!
期待してます(^q^)
Jr. ASW24 同時耐空検査整備
こんにちは 3年の岡本です。
昨日龍馬伝を見たら、まったく話が分からなくなってました。びっくらこきました。
それもそのはず、4週連続で週末を東大航空部(おそらく)史上初のJr.W24同時耐空検査整備に捧げたせいです。
なのに下級生が誰も整備について書いてくれないので僕と駒井がいかにがんばったかここに記したいと思います。
振り返れば事の発端はおよそ9ヶ月前に遡ります。
それまで業者にお願いしていたW24の耐空検査を「時代の流れ」により自分たちで通さなくてはいけなくなり、2月の寒空のもと妻沼で整備を行ったときのお話です。
http://utsc.blog73.fc2.com/blog-entry-89.html
テスト勉強(?)のため機体係の当時1年が全不参、就活のため当時3年が多忙を極めて当時主将がMTGで(部外秘)という事態。
僕と駒井は来年(つまり今回)の整備は時期をずらそうと心に決めたものです。
そして、今回。総部員数20人を擁する東大航空部は9名の機体係を有していました。
Jr.を酷使した張本人である瀧本鷲澤も招集し、全部で11名。余裕の体制で整備を迎えたわけです。
ちなみに「時代の流れ」は変わりませんでした。。。
なのに整備だけで3週末を要しました。はぁ。。。。。。
原因
1:24のレリーズ取り付けボルト周りのFRPが攻め過ぎ。
ソケットはまんない。
waibelさん(設計者)一回自分でやってみ

2:Jr.のATレリーズが対応したもののはずなのに入んない。
さすが共産圏。
というよりなぜ導入が1年ずれてるのにレリーズ交換同時なんだ。
3:24のCGレリーズはずそうと思ったらギアのアブゾーバーも外さなきゃいけない。
discusはそこんとこ考えてあるのか首都大が一瞬で外してました。さすがベストセラー。
waibelさん!
あと、24をひっくり返して作業してたんですが、この場合ギアを出す作業はギアをあげるというのでしょうか下げるというのでしょうか。。。ちなみに、半端なく重いです。ギアついてたら両手使ってやっと動かせるくらい。
4:整備の経験を持つ人間が明らかに少ない。
僕と駒井われながらがんばったと思うよ、うん。はい拍手。
あと、1年平田によるJr.の衣替えが行われました。
ちなみに東大Jr.は首都大と共有という形を取っていて、垂直安定板の右側面のマークを東大が、左側面を首都大が作っています。
右側面

東大としては東大マークを外すつもりはなかったのですが、今回首都大から左側面変えていいという許可を得たので、変えました。

アルゼンチンの国旗の太陽だそうです。
平田「鷲澤さんの顔に似てませんか?」
作業風景(ただし平田が写ってない。いや、よくみたらうつってる。)

個人的には真っ白なJr.も好きですが。あと、世界にはペイントが赤じゃなくて水色のJr.もいるようです。来年は是非!!
平田お疲れ!
あと、シールのあとだけ残っていて汚かったハウトレもきれいにしようととりあえずシールの残骸を取り外しました。新しいシールを貼る作業は堀主将みずから執り行われます。期待しましょう。
表面だけはがして、エタノールできれいにする前

そんなこんなで難航した耐空検査も4週末目に済み、明日から11月合宿を迎えます。
もうしばらくボルトとかネジの類は見たくないです。壊したら自分で修理してください。
昨日龍馬伝を見たら、まったく話が分からなくなってました。びっくらこきました。
それもそのはず、4週連続で週末を東大航空部(おそらく)史上初のJr.W24同時耐空検査整備に捧げたせいです。
なのに下級生が誰も整備について書いてくれないので僕と駒井がいかにがんばったかここに記したいと思います。
振り返れば事の発端はおよそ9ヶ月前に遡ります。
それまで業者にお願いしていたW24の耐空検査を「時代の流れ」により自分たちで通さなくてはいけなくなり、2月の寒空のもと妻沼で整備を行ったときのお話です。
http://utsc.blog73.fc2.com/blog-entry-89.html
テスト勉強(?)のため機体係の当時1年が全不参、就活のため当時3年が多忙を極めて当時主将がMTGで(部外秘)という事態。
僕と駒井は来年(つまり今回)の整備は時期をずらそうと心に決めたものです。
そして、今回。総部員数20人を擁する東大航空部は9名の機体係を有していました。
Jr.を酷使した張本人である瀧本鷲澤も招集し、全部で11名。余裕の体制で整備を迎えたわけです。
ちなみに「時代の流れ」は変わりませんでした。。。
なのに整備だけで3週末を要しました。はぁ。。。。。。
原因
1:24のレリーズ取り付けボルト周りのFRPが攻め過ぎ。
ソケットはまんない。

waibelさん(設計者)一回自分でやってみ


2:Jr.のATレリーズが対応したもののはずなのに入んない。
さすが共産圏。
というよりなぜ導入が1年ずれてるのにレリーズ交換同時なんだ。
3:24のCGレリーズはずそうと思ったらギアのアブゾーバーも外さなきゃいけない。
discusはそこんとこ考えてあるのか首都大が一瞬で外してました。さすがベストセラー。
waibelさん!

あと、24をひっくり返して作業してたんですが、この場合ギアを出す作業はギアをあげるというのでしょうか下げるというのでしょうか。。。ちなみに、半端なく重いです。ギアついてたら両手使ってやっと動かせるくらい。
4:整備の経験を持つ人間が明らかに少ない。
僕と駒井われながらがんばったと思うよ、うん。はい拍手。
あと、1年平田によるJr.の衣替えが行われました。
ちなみに東大Jr.は首都大と共有という形を取っていて、垂直安定板の右側面のマークを東大が、左側面を首都大が作っています。
右側面

東大としては東大マークを外すつもりはなかったのですが、今回首都大から左側面変えていいという許可を得たので、変えました。

アルゼンチンの国旗の太陽だそうです。
平田「鷲澤さんの顔に似てませんか?」
作業風景(ただし平田が写ってない。いや、よくみたらうつってる。)

個人的には真っ白なJr.も好きですが。あと、世界にはペイントが赤じゃなくて水色のJr.もいるようです。来年は是非!!
平田お疲れ!
あと、シールのあとだけ残っていて汚かったハウトレもきれいにしようととりあえずシールの残骸を取り外しました。新しいシールを貼る作業は堀主将みずから執り行われます。期待しましょう。
表面だけはがして、エタノールできれいにする前

そんなこんなで難航した耐空検査も4週末目に済み、明日から11月合宿を迎えます。
もうしばらくボルトとかネジの類は見たくないです。壊したら自分で修理してください。
市川展さん学科講習
3年瀧本です。
11月10日にOB市川展さんに駒場キャンパスにて、学科をしていただきました。
市川展さんは数々の日本記録を保持し、現在も世界選手権でご活躍されていますが、
その経験を少しでも現役に役立つ形で教えていただけたら、と思いこのような場を設けていただきました。
さてさて、肝心の学科の内容ですが……

部員全員がまなざしを向ける先には一体何があるのでしょうか…。
それは東大航空部のみぞ知る企業秘密です。

数年前までは少数精鋭で活動していた東大航空部も、
遂には2チームを出す事が出来るだけの規模にまで復活してきましたが、
毎年のように全国で上位に食い込むような大学とは違い、
競技をする上で勝つためのノウハウや戦略がなかなか引き継がれにくい状態です。
今回の市川さんの学科では、短い時間でしたが競技を中心とした話をしていただけました。
ありがとうございました!!
また、時間を割いて来たくださった教官方にもこの場を借りてお礼申し上げます。
写真提供:渡辺教官 ありがとうございます。
11月10日にOB市川展さんに駒場キャンパスにて、学科をしていただきました。
市川展さんは数々の日本記録を保持し、現在も世界選手権でご活躍されていますが、
その経験を少しでも現役に役立つ形で教えていただけたら、と思いこのような場を設けていただきました。
さてさて、肝心の学科の内容ですが……

部員全員がまなざしを向ける先には一体何があるのでしょうか…。
それは東大航空部のみぞ知る企業秘密です。

数年前までは少数精鋭で活動していた東大航空部も、
遂には2チームを出す事が出来るだけの規模にまで復活してきましたが、
毎年のように全国で上位に食い込むような大学とは違い、
競技をする上で勝つためのノウハウや戦略がなかなか引き継がれにくい状態です。
今回の市川さんの学科では、短い時間でしたが競技を中心とした話をしていただけました。
ありがとうございました!!
また、時間を割いて来たくださった教官方にもこの場を借りてお礼申し上げます。
写真提供:渡辺教官 ありがとうございます。
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